ご報告 〜結婚
2021年3月、結婚しました。相手はブラジル出身。ブラジルから日本へ帰ってきてくれました〜〜😭✈️🌍 なお、家では英語で話してます。
2021年5月、ブラジル側での婚姻のため、日本のブラジル領事館で手続き。
手に持っているのは、発行された書類。
最終的には、2人でブラジル本国へ行き、手続きが必要です。
前年、彼が日本からブラジルに帰ってしまい、地球の反対側との遠距離が始まりました。
しかし、遠距離でお互いの大事さ、お互いの国を行き来することはコロナ禍&超遠距離で不可能と判断、一緒に暮らす道を模索しました。私がブラジルへ行くパターンも検討しました。(↓この頃、免疫抑制患者にとって禁忌である黄熱病予防接種を受けたのは、ブラジルへ行くことを検討していましたからです。)
が、私がステロイドを取っていること、日本で暮らすほうが彼のチャンスが多いこと、などを考え、日本を起点に一旦暮らすことにしました。将来は、日本・ブラジルどちらで暮らすか、まだわかりません。
ブラジルって こんなとこ🇧🇷
- 地球の裏側
- 飛行機は直行便がない(現在のジェット機のテクノロジーでは給油なしで飛べない距離)
- 中東経由で 30時間かかる✈️
- ブラジル人はビザがないと日本に入れない(コロナ前も)
- リオ・デ・ジャネイロ は昔首都だった(今はブラジリア)
- ポルトガル語圏(スペイン語じゃない)
日本・東京 ⇄ ブラジル ・サンパウロ
(Google Earth)
地球は青かったw
一緒に出せなかった婚姻届
2021年 3月、婚姻の手続きを日本でしました。彼は緊急事態宣言下で入国ができなかったので、区役所には私がいきました。お友達がスーツを着て同席してくれました(笑)
その後、緊急事態宣言が開けるタイミングで、配偶者ビザを申請、無事受理され、日本へ飛んで帰ってきてくれました✈️
難病を受け入れてくれた
難病が影を落とす 孤独と苦しみ
難病の人が 結婚する、結婚生活を維持する、ということは、実は結構難しいのではないかと思います。当人にとっても、相手・家族にとっても。当たり前のようで、当たり前じゃない奇跡。
独りの時間が長かったので、今でも時々「この日常は夢なんじゃないか」、と嬉しい反面、すごく怖くなる時があります。
わたしは、診断当時 まだ 20代でした。結婚適齢期と呼ばれる時でした。当時の相手は見事に逃げ、音信不通に・・・。
大都会 東京で 一人で歯を食いしばって生きているうちに、寂しさにこころを蝕まれるようになり、「自分はもう結婚できないんだろうな」、と考えて、期待をもたないようになりました。一方、「50歳、60歳になった時も、一人で目覚めるのかな」、と寝る前にとてつもない恐怖に駆られる日も多くありました。
「健康であればいい」というよく聞く最低条件をクリアできてない負い目と悲しみで、傷つき 心が硬くなっていくように感じていきました。誰かに「ただ生きていてくれるだけでいい」と言ってほしいとずっと思っていました。
ただでさえ日本社会に溶け込めていない感満載だったで、世の中はモノクロームでした。
出会いは、突然 前触れもなく
そんな中、ひょっこり私の人生に現れた彼。長く湿った水たまりのトンネルの中で、光がさしたようでした。最初は私もマゴマゴして、病気を告白することは勇気がいりました。しかし、彼は引かずに受け入れてくれました。(その時の話はこちら)
めちゃくちゃかっこいいし(リサ調べ 笑)、誰よりも私の心の良い部分と才能を信じてくれている人です。少し不安になった時、彼に相談すると、ホッとします。
そんな人と毎日暮らせるようになったことは、奇跡以外の何物でありません。日頃の行いが良かったから とか、努力してきたから報われた、とか、そんな風にも感じてません。純粋に 本当に たまたまラッキーなだけでした。
心をひらく勇気を
難病で相手に背を向けられたり、今独りで闘病していても、きっとこんなチャンスがふわりと現れるのかもしれません。わかりにくいかもだけど。10年、20年かかるかもだけど。その時、相手に心をひらく勇気と瞬発力を持てたらいいな、と思います。簡単じゃないけれど・・・
一歩誰かに踏み込む&踏み込まれる勇気が必要です。そんなチャンスが どんな人にも訪れてほしいと、心から願うばかりです。
また難病も含めて欠点まみれの私を受け入れてくれた相手に感謝を忘れないようにしたいなと思っています。
ついに再会。しかし、人生最大の悲しみが
羽田空港で再会した時の写真。(隔離後)
事実は小説より奇なり とは、よく言ったものだと思います。結婚という人生で最も嬉しい出来事と同時に、家族の不幸など、人生で最大の悲しみも同時に来てしまい、大混乱に陥りました。
そして翌5月には、(膠原病特有のw)後から爆弾が降ってくるパターン。。。私の体調がおかしくなってしまいました。
一例w
それでも、少しずつ
しかし、少しずつ 私たちは、私たちの夫婦という形をゼロから作り始め、それなりのあり方を何となく感じて、落ち着いてきたように感じます。ケンカもしますけれど、ふと空を見上げれば、あの寂しかった時間は終わったのだなーと思い出します。
夜、孤独な気持ちで天井を見上げることもなくなりました。
こんな日が1日でも多く過ごせたらいいなと、静かに願うばかりです。
今日も 最後まで読んでくれて ありがとうございました💕
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Lisa Dee -前向きリサ☀︎カリフォルニア
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