1年前、2012年2月23日
昨年の今日、私は倒れました。
あの時の気持ちは、今でも強く覚えています。
南カリフォルニアの空を見上げながら、治らない不調に戸惑っていた
この日は Lake Forest にある会社で 働いていました。
咳は ずっと止まらない。
そのことで 前職の Costa Mesa の会社からひどい差別を受けた
大学院へ行くことを決めたが 親が反対
お金も 卒業まで もたない。。。
という中で、泣きそうな気持ちで胸がいっぱいで
お昼休みに駐車場でぼんやり青い空を眺めていました。
「これからどうなっちゃうんだろう… でも どうしてもアメリカにいたい…」
余震のように すでに異常は始まっていた
数日前から、始まった足のしびれ。正座した時になるような軽いものです。
が、その時は異常な かゆみが始まりました。内側からこみ上げる不思議なかゆみ。
そのままそれが痛みに変わっていき、6時pmに 仕事が終わって足をみると、
今まで見たこともないくらい腫れてました。
痛みを堪えて必死で 車運転して帰りました。
かぶれ か 虫刺されだと思いました。
家に帰って、日本から持ってきたオーバーカウンターの薬を塗りました。
激痛の中、まさかのパーティーへ…
その日は Irvine の小林くん家で ハウスパーティだったので
そーじくんが迎えにきてくれてそのまま一緒に行きました。
ほっておけば治ると信じて。。
しかしどんどんひどくなって
立つだけでなく座っているのも困難になってきました。
その日に始めてあった えいこう先生 や UCLAのナースのあんずさんが看てくれました。
10時半にはもうすごい体調不良で、時間が早くて申し訳なかったけど、
そーじくんに担がれるように送ってもらいました。
人は本当にやばいときは「まさか」という気持ちになるようで
病院へいこうと諭すルーミーをよそに深夜12時までねばり、
その後 夜中の1時に結局
Newport Beach の Hoag Hospital の緊急救命室 (ER) に行きました。
*****
それから診断が降りたのは 2012年 4月27日です。
今日から 4月下旬ってすごく先ですよね。
その間、まともな投薬もなく、
痛み止めだけで寝たきりだったのです。
その間 日本の親にも一言も病気のことは伝えませんでした。
原因もわからないので心配させるだけだと思って。
本当に苦しかったし 痛かった。
でも本当は、日本に連れ戻されるんじゃないかと 怖かった。
こっちで自分で治して何事もなかったようにすればいいと思った。
就職活動で、LAまで一人で運転して行った日もありました。
左足を高くあげながら、時々身の危険感じたら車をプルオーバーしたりしながら。
人間って意外と自分でできるものです。甘えるのは簡単だけど。
現在
結局は 治すことができない病気で 今は日本の電車にゆられています。
2012年2月23日の Lake Forestの時のように
今日も空は青く晴れ渡っている。
あの時の悲しい気持ち。
自分は ひどくみすぼらしかったと思う。
私は 1年前には想像できなかった世界にいる。
そのまま診断がおりなかったら、見ることができなかった この空。
来週から 新しい一歩を踏み出します。
仕事が決まりました。
今日も 最後まで読んでくれて ありがとうございました💕
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Lisa Dee -前向きリサ☀︎カリフォルニア
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